Statement
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まず、私が作品にガラスを用いる理由は、その美しさを表現するためでも、フォームの精巧さを探求するためでもない。一瞬にして美しいと分かるものに興味が湧かない。それなのに、ガラスにこだわった制作を続けてきた理由は、私がガラス造形の技法を学んだことで得た体験や視覚的な感覚に基づいている。素材を学ぶ中で、石膏とガラスのコンビネーションを選択し、表現を続けてきた。

   元々、これらの素材は、ガラスのキャスティング技法において密接に関係しているが、石膏はあくまでも「ガラス鋳造のための型」としての素材である。しかし、私はある日、キルン(電気炉)から取り出されたガラスの鋳造後の石膏とガラスの組み合わさった状態を見て、石膏の儚さとガラスの神秘的な力強さを目の当たりにしたのである。熱が加わった後の石膏は、脆い。ガラスの質量によっては、内側から型が壊れた状態で冷えていることもあった。この時、石膏とガラスの、それぞれに対する私自身が持っていたイメージの反転を体験した。それは、私の作品の中で、壊れやすさと不完全な形を同時に表現することはとても重要だと気づかせるものでもあった。その気付きから、ガラスを石膏で埋めて、素材のテクスチャーや素材同士の現象や陰影を求めて制作を進めることとなる。

 この体験から、随分後のことになる2017年頃、作品が石膏のみの表現に傾倒し過ぎていた私に、「一旦、ガラスに戻った方が良いのでは。」と評してくださった方がいた。その言葉をきっかけに、大学を卒業してから触れることさえなかった、吹きガラス技法と向き合うことを決める。そうしてガラスとの向き合い方を変えたことにより、廃棄ガラス瓶やストックのガラスから制作していたものから、吹きガラスの行程からもインスピレーションを得るようになる。つまり、ガラスらしい曲線やフォルムへのインプットが増え、制作のテーマであった「壊れやすさと不完全な形を同時に表現すること」から広がりを見せるようになる。

 現在の作品では、透明ガラスと透明・不透明の両方のカラーガラスを使用している。普段は光の含み方や陰の雰囲気などを、ガラスとその他の素材の関係を通して考えているが、その一方で、私はガラスの入れ物を探し求めていて、それらは内に空気と光、陰を映す石膏を抱えている。これは、かつてイメージの反転を偶然体験し、制作の方向を見つけたときとは違い、今までの作品イメージの反転を自ら試みた結果である。器のフォルムを用いるのは、内と外の境界線としてではなく、包みこむ側とそれに内包される側という意味が強い。包んでいる方も、儚さや壊れやすさを孕んでいることを表現する。